5/12 神のロジック 次は誰の番ですか? 読了。

結論。面白かったし。考えさせられた小説。

ダブルカバーもので、カバーに手描き文字でびっしり面白さを書いているのだが、その中身が、絶対に騙されるとか、大大衝撃の結末とか書いてあったので、どれほどのものかと、あまり期待しないで購入。

8割ぐらいのところまでは、犯人とかトリックがわかったわけではないが、なんかありきたりで、それ見たことかとたかを括って読んだのだが、後半の話の展開とオーラスの結末とか、確かに思いもよらず、かつ衝撃は大きかった。カバーに書いてあった通りだった。

11歳の日本人の少年が主人公で彼目線で最後まで語られるのであるが、とある寄宿学校での話で、同年代の生徒が6から8人、先生2人、子供達の食事等の世話をするお婆さんすが登場し、陸の孤島もどきの外界から閉ざされている学校で事件は起きる。要するに限られた空間で限られた人物しか居ないという、ミステリにありがちな状況。

半分ぐらいが、この学校の説明と、人物設定で、その内容全てが疑問点だらけで、明確な事がほとんど無い状況が続く。そんな中で子供達による、この学校の意味とか、自分達の存在とかの考察が行われていくのだが、こんな事、11歳前後の小学生が思い付くのかよって突っ込みたくなる様な内容ばっかりで、まあ、英才教育してればこうなるのかって勝手に判断して納得はし、なんせ子供中心の話なので、子供向けの小説なんだろうなと思いながら読んでいた。

途中途中で、家庭内暴力の話しとか、神の在り方の話とか、マトリックスの世界の話とか、ボケの話とか、社会的な事や哲学的な事、空想的な話しが、自然に盛り込まれ、10数年前に書かれた本なのに現代を表しているって感じが、解説にある通り伝わった。

オーラスはとにかく腑に落ちたし、お見事って唸ってしまった。

5/7 午後二時の証言者たち 読了

午後二時に小学生が交通事故で亡くなってしまった。事故の当事者、偶然その場に居た目撃者、最寄病院の担当外科医、当事者の家族、のそれぞれのことを書いている小説。この人達のうち、加害者と外科医が巧妙な手口で殺され、誰が犯人なんだろうと言うミステリ。当然、被害者の身内が加害者を殺人すると言うのは頷けるが、同じ様な手口、亡くなった小学生と同じ様な死因、で外科医まで殺されてしまう。この外科医は、その当時、救急車からの怪我人受け入れの要請を受けたが、受け入れる義務のない病院であり、受け入れても助かる見込みが無いと判断し受け入れを断った。ここまでは法的にも人道的にも問題無いのだが、断った後の行動が問題をややこしくする。要は不倫相手と合ってたのだ。人の生き死にの裏で個人的に逢瀬を楽しむ医者、法的には問題無いが人道的にNGだろう。ただこう書くと犯人は被害者の家族としか判断でき無いのだが、この医者、過去に自分の出世のために手を切った人も身近に居たりして、なかなかいろんな所に敵がいる、当然奥さんもその1人。と言うことでミステリが膨らんでいく。

最終的には腑に落ちるのだが、個人的にはもっと話がこじれるのかなぁと期待していたので物足りなさはあった。

犯人の心情とか最後の結末とかはキチンとしていたけど、その他の、特に前半の登場人物達の後始末がどうなったのかが気になった。

親子の愛情って浅くてはダメだし、深過ぎてもダメだし、幸せってなんだろうって考えさせられた。後、なんとなくだけど、今までの乏しい情報源からだけだけど、不倫って何となく悪いことではなくなってきている感がするのだが、自分だけだろうか。どっちかと言うとステータスと言うかハクがつくというか、やって当たり前、やった人をどう見るかと言う第三者に、その倫理観を求められている感じがするのだが。

2022年3月19,20日 思いつき紀行②

日光へ

2022317日(木)、今週末は3連休だということに気づき、なんかせねば、と思いつき、そうだ温泉行こう、だとしたら何処?一泊でのんびりできる所、そうだ、日光に行きたかったんだ、日光って温泉有る?奥日光に有るじゃないか、と言うことでまずは宿探し。ネットで調べに調べ、奥日光、「やまみず樹」が良さげでリーズナブルで空いていたので予約。16時ごろチェックインにして、それまでは日光を満喫しようと計画を立ててみた。

日光と言えば、東照宮華厳の滝、サル軍団ぐらいしか思いつかず、2日間で行ける所は全部行ってみようと思っていたが、奥日光って、日光駅からかなり距離がある事がわかり、あまり無理しない工程を検討。それでも、せっかく行くのだから少しでも色んなところに行けるべく、少しでも早い電車に、730分新宿発「日光1号」を予約。通勤の時と同じぐらいの出発となった。朝ご飯は新宿駅でそばでもと思って空腹を少し我慢していったのだが、蕎麦屋が無い、開いていない、遠いの三重苦で断念。朝から駅弁を堪能すべく、彩り弁当のような物を購入。約2時間の電車旅なので、あっという間に日光に到着。電車降りる前に電車内でゴミを捨て忘れて、駅で捨てれば良いやと軽く考えていたのが甘かった。この日一日中、弁当のゴミをブラブラさせながら観光する羽目となった。途中にわか雨も降るし、なんで日だって感じだった。

それでも、電車の中で宿から電話あり、日光駅の旅プラザみたいな所で宿の名前出してバスのフリー券買うとお得ですとの事で、早速購入、結果かなりお得感があったのでまぁいいか。

まずは日光東照宮目指して徒歩で日光街道って言うのかどうか知らないが駅前の街を歩いた。やはり名物なのであろう、途中、生ゆば、をメインにした食道が多々あった感じがした。あと、買ってはいないが、家康コーラ、コーラに三つ葉葵の家紋がついているものがあった。さすが徳川のお膝元。

それと、途中最も気になったお店が、「雲IZ」と言うサル焼き屋。猿の形をしたたい焼きみたいな物なのだが、看板の文字が独特で、思わず店に入って、サル焼きを買ってしまった。Tシャツ売っていたら買っていたと思う。なんか偉い書道家が書いた文字なんだとか。

さて目的地までもう少しという所で、「二荒山神橋」と言う橋が見えてきた。この橋は宮へ行く最初の橋で縁起が良く、良縁に恵まれるとか書いてあったので、渡んなきゃと近くまで行ったら、なんと有料。しかも、通過では無く、渡ったらまた元に戻ると言うシステム。ちょっと渡んなくてもいいかとも思ったが、あまりケチ臭いのもどうかと思い、一応渡ってきた。まあ、景色は良かったので、文句言えた義理では無いが。

橋を往復したのち、東照宮への登り道にかかり、まず大きな社屋が見えたので、ここが東照宮かと思いながら、写真を撮っていたら、何のことはない、輪王寺と言うお寺だった。知らなかったとは言え、なんか恥ずかしかった。輪王寺を横目に見ながら更に広くなったゆるい坂道を登っていくと、見えてきた見えてきた。東照宮二荒山神社と大猷院の門。この日全部見られないと思い、東照宮のみを観光。厩の猿の絵、陽明門、眠り猫、家康廟、門が綺麗に見えるパワースポット等々定番の所は見て回った。猿の絵は見猿聞か猿言わ猿だけで無く、人生の縮図を書いた複数枚の絵とか、陽明門は工事中で美しく無かったとか、眠り猫があまりにも小さかったこととか、行ってみないと体感できない事を感じてきた。色々みて回った所、やたら石灯籠が多いと感じた。東照宮自体がパワースポットなので、かなりのパワーを貰ったんだろうな。あまり実感は湧かないけど。

そうこうしているうちに、お昼時を過ぎてしまい、たまたま、展示室の所にドトールがあったので、カツサンドをつまんだ。その後、展示物見て、その間ににわか雨が降り、雨宿り後に下山。ようやく割引されたバス券を利用する時が来た。この日は、16時ぐらいにチェックインよていだっので、東照宮前のバス停から、奥日光までバスに揺られ約1時間。その間、いろは坂を通り、華厳の滝の辺りを舐め、中禅寺湖を横目で見、龍頭の滝付近を通過して、徐々に雪深くなり、湯の滝付近から湯の湖を経由して奥日光に着。この時はまだ雪残ってるんだぐらいだったが、この夜、まだ降雪があり、明くる朝更に雪深くなっていた。

さて、宿である。すぐそばにスキー場があり、スキー客用のペンションのイメージ。ベッドを含め、部屋はさほど目を見張るものはないが、悪くも無く、畳みの空間もあり過ごしやすくはあった。

ただ、温泉が良い。良い。良い。あまり期待していなかったからかもしれないが、これまでに入った温泉で12を争うぐらい。しつこく無いくらいに湯が体に纏わりつき、温泉成分がいつまでも身体に付いているっ感じの湯。熱海の大湯温泉とどっこいどっこい。

食事も結構いろんな種類が出てかなり満足。中でも生ゆばの刺身は絶品だった。ただこう言う時だけは一人じゃつまんないなぁと感じた。調子に乗って日本酒飲んでしまい、食事後、20時かそこらだと思うが、すぐに寝てしまった。なんか勿体無い感じがした。

318日(金)、就寝が早かったので当然目覚めも早く、5時には目が覚めていた。朝イチで温泉に浸かり、前の日には暗くてよくわからなかった露天風呂の周りも素鳥の囀りと共に堪能し、加えてまだ少し降っている雪とサーっと通り過ぎる風に乗る粉雪と、雪国の朝を堪能した。結構雪が積もっていて、バスが動くのかと心配したが、常に雪が降っている所の方がそう言うことの対応はきちんとできているので、止まる事はほとんど無いそうだ。

朝ご飯は、パン食で、量的に少々物足りなさを感じたが、残念な感じではなかった。

さて、二日目はどう過ごそうかと思案。湯の滝は足元が不案内なのであまり進めないと観光協会の人が言っていたので、泣く泣くやめにして、龍頭の滝から攻めて行こうと決めいざバスへ。バス停前の広場は誰も踏み込んで無い雪の絨毯、ここぞとばかりに独り占めして、足跡を楽しんだ。

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バスに乗り込み、バスは瀧上口というバス停で降りて、歩いて瀧まで行けると教えてもらってはいたが、雪が深くそれどころでは無いのでは無いかと心配してバスを降りた。遊歩道の雪は歩ける程度に雪かきがしてあり、全く心配無用であった。龍頭の滝、写真で見るのとはやはり違い、素晴らしかった。一本の水が流れているのでは無く、幅の広い少々きつい傾斜の所を何本も水が流れている感じ。写真で見る所よりも上流側にその場所があり、目に映る光景よりも音が良い。水の流れる音に身体中が包まれている感じ。サラウンドでは聞けない自然の音。感動した。

次のバスまで時間があるので、龍頭の滝を尻目に、中禅寺湖北岸を華厳の滝方面にトボトボと歩く。華厳の滝まで歩けるかとも思ったが、馬鹿も休み休み言えって感じで、全く距離感が掴めていない自分が可笑しかった。

バスが来るだろう時間に合わせて途中のバス停で待つ。何分だったろう、暇だった。

バスに乗り数分で華厳の滝バス停着。そこから歩いて5分そこらで瀧の音が聞こえて来る。初めて目にする華厳の滝は荘厳で、見にきた甲斐があったと思った。ただ、でかいだけでは無いなんか霊元新たかで、なるほどパワースポット

って感じがした。エレベーターでお金払って下の方に行く事ができたので、折角だから降りてみた。約100mを一気に降りるエレベーターに感心した。エレベーター降りてドゴール空港を思い出すようなトンネルや階段を歩いてやっと展望エリアへ到着。確かに下の方から瀧が見る事ができるのだが、逆に距離が遠くなった感があり、上で見たほうが良かった。

華厳の滝を堪能した後は、日光方面へ降っていくのだが、途中、いろは坂があった。登る方と、降る方で道は違うのだが、両方いろは坂。登る時は、寝ていたせいか、ここがいろは坂って感じはなかった。下の時は気にして見てた。途中で気づいたのだが、カーブの所に一文字ずつひらがなの看板あり。そうかカーブごとにイロハ順に一文字づつ振ってあり、それがいろは坂の名前の由来なんだ、50近いカーブがあるからなんだ、と改めて気づいた。なんと気付くのが遅いのだろうか。

お昼少し過ぎて日光に到着。まずは昼ごはんでたまたま通り過ぎようとした食堂、まひるで食堂、修学旅行の学生たちが昼食をとりそうな所なのだが、生ゆばを売りにした店で、割引券も配っていたので釣られて入店。ゆばトマトラーメンの定食を食す。ここでも突き出しの生ゆばは美味しかった。

腹も朽ちた所で、この日は、二荒山神社と大猷院に行く事を決めていたのでまっしぐら。

あまり期待していなかったのだが、二荒山神社は出会いの神様で、一つの根から二つ、三つの幹がそびえている杉が多く、それだけの所とたかを括っていた。この神社の中に、神苑なる物があり、言うなれば神様の集う所って感じで、神様のテーマパークみたいな所。歩いているうちに何か取り憑いたみたいに全部見て回っていた。とにかくなんでもありみたいな所。輪投げがあったり、木を叩いて見たり、鈴鳴らしてみたり、石投げてみたり、などなど、書いていると何が楽しいんだろうって思う所なのに、全部体験しないと逆にバチが当たるんではないかと思わせる様なところ。それはそれで面白かったが。今まで手を出していなかった御朱印帳、思わず買ってしまった。一度は行った方が良い所だと思う。

さてもう一つの大猷院。家光が封じられている所とか。ここは特になんとも無かった。石灯籠が多いってことぐらいか。ここで15時半ぐらい。

1638分の日光8号に乗るべく東武日光駅に急ぐ。結構早く着いてコーヒーでもと思ったが、良さげな所なし。駅にあるちょっとしたコーヒー屋で買って立って飲んで時間を潰した。

この後は新宿まで一本。なんとも楽しい旅であった。

4/27 東芝の悲劇 読了

評価に値しない本。読んでてだから?って思う事ばかり。読んで損した感増し増し。悪いことした人達が居るのはわかったよ。だからって感じ。正直、最後までは読まなかった。こんな事は初めて。かったるくて、結論が無くて、ダラダラ読んだ事が無駄だったって感じた。

事実はそうでしようけと、書いてる人はどうおもってるの?とか事象があっち行ったり、新し い人名が次々でてこれ誰?って感じでものすごくつまんなかった。事実は事実で、そうなんだと思ったところは多々あったが、だから?って感のほうが物凄く残った。

東芝は色々関係しているから、親身になって読んだけどなんか腹だだしさしか残らない本だった。作者は何を言いたかったのだろう?


4/14 イノセント・デイズ 読了

これも帯の文句で面白そうだと感じ購入。

元恋人の家族を放火で殺害した疑いで逮捕され死刑判決となった女性を中心にして、生まれた時の産科医、小学校時代の親友達、一緒に暮らしていた姉、中学校時代の友達、元恋人、死刑判決後の看守が、この女性の生い立ちや、人間関係や、起こした犯罪や、拘置所での状況を綴っている小説。

死刑判決が決まった後、これらの関係者がその女性はそんな事件を起こす様な人では無い、という事を、それぞれが語っており、これは冤罪なのか、それとも本当に放火したのかというミステリ性や、死刑執行直前の、執行されるか延期されるかというサスペンス性が重なり、後半の読むスピードがアップした。

この女性は、生まれた時から曰く付きで、その事がまだ判断できない小学校の時は親友がいて、とても良い状況であったのが、母親の死を境に急転直下、奈落の底に落ちていき、何のために生きているのか、と苦悩の連続だった。そんな中でもあなたが必要だと言ってくれる人もいて、そんな人には心底傾倒してしまう。例えば、犯罪を犯した友人に対してもその人の為に自分みたいなものが汚れた方が良いと思って行動してしまったり、どれだけDVにあってもその人が自分を必要としているなら堪えられるし、苦にならないとか。

それに加えて、それぞれの登場人物たちも重い過去を背負っており、弁護すると自分が不利になるため女性の死刑判決を覆えす行動ができず苦悩する。

クライマックスはその重責に耐えられなくなった人が、告白し思い切って弁護しようとするのだが時すでに遅く、執行の日が来てしまう。処刑室への移動の時の描写は特に読み応えがあった。状況は少し違うが、ダンサーインザダークを思い出した。

この中で特に興味深かったのは、イジメの構図で、グループ内でイジメられている人は、そのグループ外で自分が優位に立てる友人を作り、その友人との関係でイジメられている事を消化している事。事実そういうことがあるのかどうかはわからないが、この死刑判決受けた女性はそのイジメられている人の心の拠り所としてのみ生きる価値を感じ、要するに負の感情の吹き溜まりの中で生きているのだろう。だから、この女性の心の拠り所は、この負の感情を抱えたまま死んでいくことしかなく、死刑執行までの心情は安らぎでしかなく、騒ぎ喚く事もなく過ごせたのだろう。それでも最後の最後、自分の信念が一瞬緩んだ時の心の葛藤は想像を絶するものがあり、文章にはなっていないが、充分感じ取れた。

とにかく考えさせる小説であった。

4/10 平場の月 読了

直前に読んだ本は30年ぐらい前に付き合った事のある男女のSNSでのやりとりだったが、今回の本も同じ様な50オーバーの同級生が、郷里でばったり合い、その後の二人の話。前者は、タンパクに会話が進んで、最後にえーって感じで終わるのに対して、この「平場の月」は題名のごとく、本当にのっぺりした郷愁に満ちた展開で、後でどうなるのかわかっているのだけど、最後の最後で涙腺が崩壊すると言う、同じ年代の同じような境遇の男女でもこうも違う物語ができるとは想像もしなかった。前の本では、社会に対して色んな事を考えさせられたが、この本は最初から最後まで、人の情についてくどいぐらいに表現されており、それがために、互いの思いやりに対するもどかしさや、うまくいっている時のなんとも言えぬ幸福感が増幅されて、本当に最後の最後、数行で涙を持っていってしまう。卑怯と言えばそうなのだが、うまいなぁと感じた。

正直な所、解説読んでそうだったのかと思ったのだが、最初に結論ありき、最後にどうなるのか判っていたのだが、全く気づかなかった。途中からどうせ最後はこうなるんだろうなって勝手に先読みして、読了後、ほら見ろって勝ち誇っていたのに、最初から描いてあったとは、なんとも小っ恥ずかしく思ってしまった。小説として特にわかりにくくしてたわけでなく、自分が最初に書いてある事をおぼえていなかっただけなので、なおさらである。

自分もほぼ同年代で、同じような境遇で、田舎にUターンの予定でいるので、少し実感の湧く小説であった。

この本の解説にもあり、以前よりちょっとずつ目に入るようになったので、今回から「完読」はやめて「読了」って書くことにした。

4/4 ルビンの壺が割れた 完読

完読って言うほどのものでなく、170ページ程度の薄い小説。帯には、大どんでん返しって大々的に書いてあり、どれ程の推理小説なんだろうと思い購入。

結果的には面白かったし、考えさせる本であった。

全編、フェイスブックでのやり取りで、そのやり取りは、30年前の恋人だった男性と女性の二人だけの物。推理小説では無かったが、色んな要素で、これはこうでは無いか、この男性は、この女性は、本当はこうなんじゃ無いかとか、推理とまでは行かない考察を余儀なくされる本だった。

一つ一つのやり取りがそこまで長く無いので読みやすく、かつ、他人のプライベートを盗み読みしている感もあって、次から次に読み進んでいった。

確かに最後は大どんでん返しって感はあったが、初めからそれありきで読んでいるので、そこまでの衝撃はなかった。おーそうなるか、程度であった。

ただ、話の展開で過去のことが徐々に明らかになっていくのだが、その内容が、職業的偏見だったり、司法制度の在り方だっり、倫理観の問題だったりと、考えさせられる事が多分に盛り込まれていた感じがした。その都度、腹立たしかったり、でもそりゃあ仕方ないかと考え直したり、感情を揺さぶられた感がある。

この二人が知りあっのが大学の演劇部っていう事も振りが良くできていると思った。男女の出会いは所詮は互いに芝居している様なものなんだって事。全てを曝け出す事が本当に正しいのだろうか、全てを知ろうとする事が正しいのだろうか、結局、そこには解は無いのだが、人との触れ合いはその探り合いが難しくもあり、また面白いのではないのかと、思わされた本であった。