6/1 映画の日


ゴジラ観た。ムトーとの戦いからの続きなのかな。怪獣達を音、声でコントロールする事を開発して、怪獣達を目覚めさせ、地球を変えていこうとするが、最終的に阻止されると言うストーリー。
地球を変えようとする人達の考え方が自分にとっては斬新だった。環境破壊が進んでいるのは全て人間が原因で、環境を守る為には、怪獣達が主導を握り、人間はそのペットにならなけれならないので、怪獣達を蘇らせるのだそうだ。ナンセンスな様だが、面白いと思った。
人間的な目的は上記の通りだが、怪獣側はそうではなく、キングギドラが怪獣王ならんとして、覇を唱えて行こうとするのを、ゴジラがそれを阻止しようとするが、ギドラのパワーが凄まじく簡単にはいかない。そこで登場するのがお決まりのモスラ。身体を張ってのゴジラの補佐は感動もの。成虫する時の映像も迫力もの。
怪獣達が何で地球上で冬眠のごとく眠っていたのか、また、宇宙怪獣のキングギドラがなぜ南極?にいたのか、理解できなかったが、全体的になんとか付いて行けた。

5/12 レミゼ 鑑賞


今年、またレミゼをやるという事を知り、どうしても観たくなり、チケット販売日を心待ちにして、数カ月過ごし、販売当日、午前9時から電話をかけ始めた。そう簡単につながるとは思っていなかったので、何度もかける覚悟は十分有った。有ったのだが、結果思いっきりへこんでしまった。100回以上かけ続け、その都度、現在混み合ってますのコメントを聞き、何時だったか忘れたが、午前中に、完売ですとのコメント。チケットは取れないは、電話をかけた時間が無駄になったは、iPhoneの電池はなくなるは、踏んだり蹴ったりであった。
腐った気持ちでそれでも未練がましくちょくちょくサイトを見ていると、viagogoなる所が、チケット有りますのコメント。怪しそうなので、取り敢えず、評判を見てみると、悪そうな事は書いてなかったので、購入してみることにした。そんなに良い席ではなかったが、15000円、クレジットで、購入手続き完了。チケットが届くのは、公演の1週間前、なんか胡散臭い。それでも、信じて、待っていると、届いた届いた。感動物。中身を開けてみると、確かに有りました。ん?!チケットには5000円の文字が。よく見てなかったようで、3倍の値段で手に入れてたみたい。それでも、手に入ったのだから、まあいいかと自分に言い聞かせ、無理矢理納得。
本番までの日々は、修学旅行前の学生のごとくワクワク、ドキドキしていた。
迎えた当日、実はその日のお昼に、衝動的に、女子プロレス後楽園ホールに見に行き、思いもよらぬ面白さで興奮していて、レミゼの感動が薄れるかもと不安ではあった。
さて、帝国劇場。やはり、重厚感溢れる雰囲気のホールで、それだけでも、期待感が高まり、先の不安はそれだけで一蹴された。
初めて観た時と違うところは、ほとんどの歌を歌える事。最初から最後まで、口パクで歌っていた。両隣の人に迷惑かけてるかもと、不安であったが、特に睨まれてもいなかったので、多分大丈夫だったのだろう。
席は、2階の真ん中あたり。役者達が、ジョジョの奇妙な冒険に出てくる、バッドカンパニーやザ・ハーベストかと言うぐらい小さく、当然、表情は見えはずもない所。それでも、舞台の転換の様や、メイン以外の役者の動きがよくわかり、とても面白かった。
分かり切っている事だが、全体的にとても良く、感動したのだが、ちょっとしたダメ出しを。
全体的に暗かった。総合的に、最も明るい所から、逆算しての結果だろうが、暗かった。
後は、ガブローシュの最後の所がごちゃごちゃしていてちょっと残念だった。
♪♪♪♪
この日は、女子プロレスレミゼととても充実した日であった。2019.5.12は忘れられない日となった。


レッツ、ポジティブ

時は月末、給料日1週間前。懐には、全財産が3千円。「しか無い」か、「も有る」かは考え方次第。少し節制すれば何の問題も無い状況。ここで第1の迷い。細々と節制するか、一儲けしてプチ贅沢するか。前者は我慢というリスク、後者は一文無しで1週間過ごさなければならないリスク。どうしよう。本来であれば迷わず前者なのだろう。しかしながら、小鉄球依存に足を突っ込んでいる身としては、後者への決断は分を待たず。すかさず勝負の門を開けるのであった。次なる迷いは、どの場所のどの席を選ぶか。当たりは少ないが回転数がむちゃくちゃ多い席か、その逆で、回転数は少ないがめむちゃくちゃ当たっている席か。ここは、多いに悩む所。でもすぐにライバルに取られるので、時間もかけられない。従って、ここでは直感のみの決断となるのである。後は、一文無しか、プチ贅沢かは運次第。
なのだが、もう一つの試練が待っている。
「戻り」が少しでも発生した時である。
ここでやめてプチ贅沢を楽しむか、さらに続けて、プラチナ贅沢を目指すか、最も迷う所。大概の場合、今現在、いい方向に向いているので、迷う事は無いと思われるが、さにあらず。欲をかくと足元をすくわれる。その経験が何度も何度も何度もあるため、決断が難しい。その席の過去のデータ、その日の動向、周りの状況、本日の運勢、方位、正座、血液型などなど、総合的に分析すれば、良い方向で決断できるのだろうが、なんのかんの言って結局、続けることに決断し、毎度毎度、すっからかんになってしまうのである。依存症予備軍の悲しい性である。そんな時は、次があるさ、と完全なる開き直りで、生きる意欲を維持するしか手が無い。
☆☆☆☆☆☆

少々ふざけた内容であったが、迷っている時は大概こんな物で、何かを決断する時には、迷いは必ずあり、決断した事が残念な結果になっても、迷った事を次の判断材料にすれば、少しは、慰めになるかも。レッツ、ポジティブ。

5/27 半落ち 完読


久し振りにに、電車で泣いてしまった。冷静に考えるとそこまでじゃない内容と、思ったけど涙をこらえるのがつらかった。
現職警察官がアルツハイマーになってしまった妻を殺してしまって、自首してしまう話しが筋として、それに関わる、警察官、検事、弁護士、記者、裁判官、それぞれが主人公になって物語が進んでいく。ミステリアスな内容でもあり、権力を見て見ぬ振りをしなければならないそれぞれの主役たちの葛藤あり、とにかく、読み応えのある小説であった。
これって映画化、脚本化とかしてないのかなぁ。

5/12 故郷/阿Q正伝 完読


難しかった。字を追っていって、情景を想像することはできても、言いたいことがほとんど分からず。解説には、中国の当時の階級の違いやら、革命に対する思いとかが風刺されているとあったが、全く読み取れなかった。
言い訳ではあるが、近代中国の歴史や諸外国との関わりとか、中国文学の変遷など、ある程度わかってないと無理かも。
中国の歴史は陳舜臣の小説を4、5回読んでいるので、ある程度わかっているつもりだったが、清から中華民国、人民共和国へ移っていった近代の流れは、私の中ではかなりごちゃ混ぜになっていた。
恥ずかしいことだが、阿Qが人名を指していたこと、初めて知った。

5/19 子宮の記憶 完読


産まれてすぐに数ヶ月間誘拐された経験を持つ高校生の話。成長していくに連れ母親との反りが合わず、それが元で父親ともうまくいっていない環境で、ひょんな事から喧嘩をして家出して、自分を誘拐した人に会いに行って、色んな事を経験していくのであるが、その様が、考えられないくらい凄まじい。歯医者の家なのでお金には困ってない、どちらかと言えば裕福な家庭であるがためか、母親はプライドが高く、子供に対して自分の考えを押し付けるタイプで、それが募って、完全拒否状態。父親は、よくある家庭を顧みない人で、当然ながら、不倫しており、その不倫相手は息子とも男女の関係があり、息子は父親の不倫相手と知っている。息子は、モヒカンで髪をカラフルに染めて、とても一見では近づきたくないタイプの外観なのだが、裕福な家庭であったためか、頭が非常に良く、処世術も長けており、高校生とは思えないくらい、人が考えている事を先読みし、常に冷静に物事を考えられるタイプ。
その高校生が、家を出る前の喧嘩がすさまじい。まずは、母親に対して口論のすえ、揉み合いになるのだが、計算の上で母親の乳を揉んで、更には、親の表には出せないへそくりの二百万円を顔色変えず持ち出す始末。その足で、父親の病院に行って、愛人と自分の関係を暴露した上で、揃えたばかりの医療器具をめちゃくちゃに壊してでていくのだ。
そんな、青年が、誘拐犯と一緒に生活していたらどうなっていただろうと言う単純な思いで、犯人の現状を調べ上げて実際にその犯人と同じ屋根の下で暮らし始める。
そこで出会った人たちもまた、かなり苦労していきたひとたちばかりで、それぞれの生き様が、主人公である青年を少し変えていくといった物語。
題名からして、なんか下衆な感じがして、読もうとは思わない様な本だと感じていたが、裏表紙の物語に、誘拐された子供が、自分を誘拐した人を探すと書いてあったので、題名はともかく、八日目の蝉を思い出し、感動物と判断して手にしてみた。読み始めは、かったるく失敗したかと思ったが、後半からの展開がとてもスピーディで、どうなっていくのだろうと、次から次へとページをめくっていた。良く考えると、子宮とは母親のことを指していて、胸のすく様な結末は無いのだけれど、生みの親と育ての親の違いとか、とても考えさせられた。
後半になろるに連れ、これ舞台にできるのでは、と思いながら読んでいたのだが、案の定、映画化されていた。


5/2 忠臣蔵(下) 完読


やっと下巻読めた。やっぱり面白い。正直な所、人物とエピソードが一致していないが、それでも、読みごたえあった。映画とかだと、討ち入り前の別れのシーンから討ち入り後の行進までが、重きを置いているが、この本は、その後の始末までキッチリ書かれており、単なる刃傷、又は人情物では無く、この事件に関連した表には出ない、政治家達の興亡があった事がよくわかった。
また、吉良イクォール悪、浅野イクォール善の勧善懲悪物と思っていたが、最後まで読んでいくと、吉良方の方が被害者だったことかよくわかった。浅野内匠頭吉良上野介の意地悪に耐えかねての刃傷から始まった事で、どんなに酷かったのかわからないが、ただ意地悪しただけで、斬り付けられ、数年後に寝込みを襲撃されて、首切られたあげく、その時は被害者なのに喧嘩両成敗で、お家断絶させられたのだから、たまっもんでは無いだろう。
そういう意味では、お上の裁量の曖昧さが引き起こした事件という事になる。なんとなれば、最初の刃傷の時に、喧嘩両成敗としていれば、討ち入りなど無かったのだから。
とは言え、武士が必要無くなってきた元禄の世で、武士が生き残る様が痛い程わかるのは、この事件のお陰だろう。書物として残してくれた過去の文人達に感謝。
後、内蔵助の生き様、討ち入り前迄のうつけ振りは敵を欺く為の芝居で、苦しい思いをしながらの振る舞いだった、と書物、メディアでは言われているのが多いが、実は、敵討ちなどどうでも良く、できるのであれば、放蕩暮らしを続けたかったのでは、とこの本に書かれていたが、そっちの方が、真実の様な気がする。また、どうしても敵討ちをしなければならないなら、たかが吉良の首一つだけで無く、その上の本家である、上杉を引きずり込み、ひいては、お上までを敵にとっての大立ち回りして、大石の名を残したいが為の大芝居、自分の為に起こした敵討ちだったのでは無いか、という説にも大いに頷いた。
何にせよ、大変面白く、為になった本であった。