3/7 ボダ子 完読

ボダ子とは主人公の娘の事で、境界性人格障害ボーダーからのニックネーム。大震災後のボランティアの中でそう呼ばれており、本人も気に入っているとか。

この小説は、爾来小説って作者が言っているが、爾来=その後とかそれ以来という意味なのだが、爾来小説の意味がよくわからない。

100%事実の小説なのだそうだ。

そういう意味では、この主人公、物凄く仕事のできる人でかなりの才能のある人。ただ、物凄く運に恵まれなかった人。だからこそ、この様な小説にもなれたのだから、良いのか悪いのか判断が難しい。

後書きに載っていたけど、本当は、若い時仕事に成功して、悠々自適だった人が、娘の障害の対応でつまづいて、震災復興の事業と家庭の間で悪戦苦闘する様を描きたかったのだが、編集者等の意見で改稿につぐ改稿で、結局ボダ子を中心にまとまったとの事。

でも読んでいて、正直なところボダ子の事は

現象でしか現れてこず、主人公の事業者としてのスーパーさと、家庭を顧みないのに娘に執着している事、女性に対する変態性が極端な事、が描かれている本だと感じだ。

正直、描かれている事が一方的な真実でないとして、本当に、ボランティアを利用した悪質な輩にボダ子が利用されているのなら、そいつらに対して大いなる怒りを感じ、ボダ子はどうなったのだろうと言うモヤモヤ感が残った。合わせて、薄幸の愛人は?鎌倉の正妻は?ボダ子の母は?結局主人公が関わってきた女性たちが放ったらかしにされてただけでなんのケジメも付いていない、なんともスッキリしない本であった。

よくよく考えてみたら、主人公の被災地復興でかかわった会社も、談合やらピンハネやらが普通に蔓延っている世界で、強者が弱者を牛耳っているのだが、ボランティアの悪質野郎と同じ穴のムジナで、そんな世の中は、今までもこれからも無くならないんだろうなぁ。