8/9 「死ぬんじやねーぞ」 完読


中川翔子さんのLINEのライブ配信で死ぬんじゃねーぞっやってたから覗いてみた。
言葉自体が私には荒っぽく聞こえるので、たいした内容では無いんだろうと、聞き流していたのだが、徐々に真剣さが伝わってきて、真剣に聞く様になった。残念ながら後半のほんのちょっとしか聴けてなかったので詳しくはわからなかったが、気になっている内容なので、本が出ることを知り、待ちに待って購入して読んだ。
今の中川翔子さんを見ていると、子供の頃イジメに遭っていたことがとても信じられず、大人になれば克服できるじゃん、と思って読み始めたのだが、読んでいくと、途中で、「卒業すれば楽になるよ」はアドバイスにならないと書いてあり、子供の頃の感受性はそんな簡単な物では解決できない事が分かった。自分がいじめられたと言う経験が無い、または、神経が鈍くイジメられていた事すら気づかなかった為か、イジメられている人の心の深い傷が中々理解できなかった。
ただ、その事が分かっていてもイジメを無くす方法など分かるはずもなく、もどかしさが募るばかりであった。
とは言え、イジメって人が人である限り、無くならない物だと考えている。皆が皆、キリストとかゴータマとかだったら、イジメどころか、この世から争いは無くなるのだろうが、そんな世界だったら、競争と言う概念も無くなり、進歩も発展も無くなってつまんない世の中になる気がする。
今、イジメられている人が、何かの拍子にイジメる側になったら、果たしてイジメを止める事ができるだろうか。多分止めようとしたら今度は自分がまたイジメられる側になってしまうと言う恐怖で何も言えないのでは無いだろうか。
イジメの質も昔とは打って変わって、SNSとか使うと誰がイジメているのか判らない世の中になっているので対処のしようも見つからないし、誰かわかっても、いくらでも逃げる事ができると思うので、更に根が深そうだ。
そうなると、イジメ自体を無くす事は不可能と言う事になり、だとすると、イジメられている人を如何にケアするかがとても大事な事だと思う。
ケア、イクォール、話を聞く事と思っており、これしか無いと確信している。
ネットを覗くとSOSの相談を受け付ける所がいっぱい有り、これだけ問題になってきているから、増えてきている所なんだろう。イジメによる自殺者が減る事を願うばかりである。
死ぬ事を選択した人は、私の想像を超えるほど、悩んで悩んで悩んで悩んでの上での結論であり、それだけ辛い思いをしていると思うのだが、一瞬でも良い、生きたくても生きられない人の事を考えて欲しい。病気や戦争や震災や事故などで、生きる選択肢の無くなった人は、恐らく、どんな状況であれ、1秒でも長く生きたいと思っていると思う。
それを考えれば、死を決意した人には、どの様な形であれ、まだ生きると言う選択肢があるのです。その事を、少しでも考えて貰えるとても嬉しい。
私も死ぬんじゃねーぞと叫びたい人であるが、もし、もしも、死を決意したなら、本当は決意をする前に、何でもいい、これまで生きた証を、書面では無い物で残して欲しい。色んな辛い事があったのだろうけど、その中でも、少しでも支えてくれた人がいると思うのだが、その人の為にも。