11/13 告白 完読

いやー長かった。八百数十ページ。表紙カバーに分厚い本で抵抗があるが読み応えあるとか書いてあり、又吉さんもコメント書いてたので購入。読んでいる時は苦痛であったが、読み終えて、まあまあ面白かったと感じた。

実際にあった事件の話だと読み終わって知った。明治初期、河内で起きた十人斬りの事件、熊太郎と弥五郎って河内音頭で歌われているくらい有名な事件だそうだ。

後半五分の一から、その事件のあらましが語られているのだが、全編、半分以上、主人公の熊太郎の生い立ちに合わせて、その時の心情がだらだらと書かれており、対話の所は河内弁で記載して構わないのだが、その心情もまた河内弁で綴られていて、読みやすい様な読みにくい様な。作者の遊び心か、心情が綴られた河内弁の中に要所要所、東京言葉や九州弁が混じり、熊太郎の心情がそうだからしょうがないと言われれば何も言えないが、やりたい放題だなとか感じた。

それでいて面白かったと先に書いたのは、他人が自分をわかってくれないとか、事件を起こしたり、人を殺そうと思う時とか、いわゆる犯罪者の心理ってこう言うものかなと思ったから。何かを伝えたいとか、事を起こしたいとか思いついた時、そのことがどう言う事なのか、自分の頭の中で、謂わゆる天使と悪魔が存在し、悪い事ならば、やれやれと言う発想といやそれはどうかなと言う発想が、目まぐるしく繰り返され、結論に至るのだろう。言うなれば、人は個人個人にパーソナルゴッドを持っており、その神からの指令で動いているのでは無いだろうか。その描写が、蛇からにゅうめんとか、三角形の光が現れるとか、臼が飛び交うとか、表現されているのだが、この描写に行き着いた作者もしくは考えた人は、天才か異常者かのどっちかでは無いかと感じた。

つまるところ、個人の感情は語ったり表現しないとわからないので、万民、この様な描写を描きながら生きているのでは無いだろうか。

パーソナルゴッドって、勝手に自分で作った言葉だと思っていたけど、ネットで調べると、既にあったとは知らなかった。ネットの意味と私の見解はちょっと違うけど。私としては八百万の神的な意味でそれをさらにひろげたような意味なのだが。

本を読んだあと、浪曲の河内十人斬りを聞いたけど、任侠的な敵討ち的な内容であった。でもこの本は目線がちょっと違っていて、ここに行き着いた作者はすごいと思った。

河内弁の掛け合いは、ミルクボーイの掛け合いの様で軽快で面白かったが、いかんせんひらがな表記とならざるを得ないので、苦渋させられた。ただ、うまく読むと、勝手に河内弁喋っている様な感じがして、これがハマった時はちょっと心地よかった。

前に読んだ自分史上最上級の「弥勒」と言う小説は七百ページで長かったけど、後半から涙涙で感動したので長いイメージは払拭されたが、この「告白」は、途中、まだこんなにあるんかい、と思いながら読んで、大きな感動もなかったので、まあまあの面白さと言う評価に至った。