5/12 ワールド女子プロレス ディアナ衝動観戦

前日、街を歩いていたら、ふと女子プロのポスターが目に入り、なんとジャガー横田がまだ現役でしかもチャンピオンで戦ってる事を知り、会場は後楽園ホールで、明日、11時30分開始で、ディアナと言う団体の8周年記念大会で、タイトルマッチが、3つもあったので、急に観に行きたくなって、当日券あるかどうかも分からず、出向いたところ、なんと席が空いているでは無いか、という事で、衝動観戦に至った。

加えて、後楽園ホールへは一回は行ってみたいと思ってたので、ダメ元で当日券購入。5500円也。後楽園ホール自体が狭い所なので、この値段で、リングサイドでは無いが、リングから6列目の席。バリバリ臨場感あり。ただし、目線がマットの高さのため、全体が見えないので、今度来る時は、ひな壇席の方にしたい。
結論から言うと、大大大大満足だった。
⓵若い選手がとても初々しく、表現は良く無いか、ミツバチが飛び回るように、色んな作業をしていた事が、とても光って見えた。マドレーヌと言う名の選手のデビュー戦があったのだが、先輩にボコバコにやられ、敗戦した直後には、ジャージ姿となって、リングサイドで立膝で待機し、動く時は常にダッシュ。とにかく良く働いていた。
ジャガー横田アジャコング井上京子と、テレビでも有名どころが、手の届くところで戦っている姿は、感動的だった。最近の男子プロレスは余りやっていないボストンクラブとか、手を四つに組んでの攻防とか、往年のプロレスを思い出した。そんな中でも、とんでもない技が炸裂しそれをモロに受けている様は、余程、自らを鍛えた上で、相手への信頼が無いとできることでは無く、素晴らしいとかんじた。100キロ以上はありそうな、伊藤薫選手が、トップロープから両足を揃えたまま、腹の上にスタンプする技は、どう考えてもやっちゃあいけないだろうと思われる技で、井上京子選手はそれを3回モロに受けて、4回目でフォールされたのであるが、よくも3回返した事。心から拍手をしていた。井上選手はその後すぐに、ロビーでグッズ売りをしていて、何という体力なんだとこれまた、感動してしまった。
⓷要所要所でのパフォーマンスも中々の物で、ある程度の筋書きは有ると知っていても面白かった。特に旧姓広田さくら選手は物凄く好感が持てた。聞きようによれば、ふざけてるとしか思えないような言動も、生で観ていると、真剣さがひしひしと伝わり、結果はある程度見えて居るのだが、体を張っての勝負している様はとてもかっこよかった。
Sareee選手の事は一切知らなかったのだが、タイトルマッチが始まる前に流した、アジャコングとの因縁で、これまでの経緯が分かり、ゴング前から興奮していた。ディアナの中で、努力してトップに上り詰め手にしたベルトを外部団体のアジャコングに裏拳一発で奪取され、再試合でも同じく裏拳で敗退した後の、再々試合。体格差から見ても、試合内容から見てもとても勝てる相手では無いと思っていたが、食らいつき、食らいついて、一緒の隙をついたスモールパッケージホールドで勝利し、ベルト奪還。始まる前以上の興奮で幕を閉じた。3カウントが早すぎた事は全く気にならないくらいの盛り上がりであった。
ジャガー横田選手はやっぱりかっこいい。出てくるだけ、立っているだけでもオーラが違う。後で調べて知ったのだが、私よりも年上だったとは。この歳で、プロレスやってる事が既に奇跡である。その奇跡に少しでもあやかりたく、グッズを衝動買い。黒地で金文字のJagerのティーシャツ、3000円也。L寸迄しか無く、入るかどうか心配であったが、アメリカ製だから大丈夫とジャガー横田選手が教えてくれるという後押しもあり、購入。本人とも会話でき、目の前でのサイン、加えて握手付きだったのでもの凄く満足した。
実はこの後、レミゼを観に行ったのであるか、この日は、非常に良い1日であった。
レミゼの事は、別で記載。

4/20 映画KINGDOM 観た

4/20  映画  KINGDOM  観た

物凄く良かった。漫画の実写化なのであまり期待してなかったのだが、内容、ビジュアル共に文句ナシ。特に難しいと思っていたのが、橋本環奈の河了貂と長澤まさみの楊端和と大沢たかおの王騎なのだが、お見事。役者のイメージが強すぎて、役が食われると思ったが、流石名俳優。要潤の騰がココココ言ったら100点だったのだが。河了貂は漫画中でも下手したら浮いていく恐れのあるキャラで、女の子が、男の子に見える様に演じなければならず、それを20前後の人が演るとどうやっても嘘くさく見えるのだが、何の違和感も無かった。どろろを演じた柴崎コウをおもいだした。長澤まさみのアクションに注目していたのであるが、鳥肌が立つぐらい、カッコよかった。持ち前の笑顔がかなり生きていた。王騎は漫画の中でもマンガチックな顔であり、しかも不気味な存在でかつ過去の栄光を背負いつつ、若者の今後を期待していると言った、複雑な役を、短時間の間に表現しなければならないのだが、これもお見事。
もし次があるとしたら、羌瘣の配役がかなり難しいだろう。
ストーリーについては、元々が面白ので、どう作ってもズレようが無いのだが、一つだけ、惜しいと思った所あり。
左慈とランカイの場面を入れ替えた所。ランカイと成蟜の関係をもうちょっと踏み込んで、権力のみの主従関係で成り立っているランカイの絶対強者に対して、仲間との信頼関係で立ち向かう信が、その絆の強さによって、戦闘の中で強くなって最後に勝利を得る様はこの映画の主題だろうが、左慈との格闘ではちょっと物足りなかった。
何はともあれ、久々にスカッとした映画だった。

4/12 宴のあと 完読

4/12  宴のあと  完読

仮面の告白金閣寺に次いで、三島由紀夫、3冊目。少しづつ三島由紀夫の良さが分かってきた感じがする。
先の2作で煩わしいと思っていた、これでもかと言う修飾語の数々が、ステキな表現に思えてきて、絶賛される作家って、こういう言葉遣いの巧みで、聞いたことのない様な表現ができる人の事を言うんだろう。
具体的な表現は全く覚えていないが、たかがこんな事を言うのに、こんな表現もあるのかと、感動したのは、数回どころでは無かった。
内容的には、やり手のおばさんの話しで、毛色の違った爺さんに惹かれ、都知事選頑張ったのに、落選し、その事がキッカケで、爺さんへの想いも萎んで、結局やり手のおばさんに戻ると言う話しである。巻末の解説者はさすがに、おばさんは庶民の代表で、爺さんは為政者でその対立がどうのこうのと、尤もらしい事を書いていたが、何を言いたいのが解読出来なかった。
題名が『宴のあと』で、章の終わりから2番目の章の名前にこの名前が使われており、最後の章は『宴のまえ』となっている所に、とても深い意味があると感じた。最終章の『宴のまえ』では、主人公の女が選挙の時に手放した自分の店を再開させる事を、これまた選挙の時にお世話になった人からの挨拶の手紙で表現していると言う内容が書かれている。それ自体は疑問にも思わないが、その上で、何で題名が『宴のまえ』何だろう。題名と対をなしてる言葉が最後の章名になっているなんて、意図的でしか思えない。成功しようが失敗しようが、大きなイベント後には虚無感があるもので、その虚無感をバネに次なる第一歩を踏み出す事を言っているのであれば、わざわざ、『宴のまえ』の章名は不要なのではなかろうか。まだまだ力不足で、作者の真意が読めないでいる自分が情け無い。

4/1 映画の日

4/1  映画の日  キャプテンマーベル  観る

うーんといった感じ。元々、マーベル系の映画はあまり観てないので、正直よくわからなかった。サミュエルのまだ若かりし頃の話しで良かったのか。これまた、何でもあり感満載の、いろんな映画の積み重ねの様であった。
この系統で寝る事はまず無かったのだが、不覚にも寝てしまった。しかも、最後の方で。それ程興味が無かったのかも。

3/30 金閣寺 完読

前から読みたかった金閣寺を完読する事ができた。仮面の告白に次いで三島由紀夫、2作目。

どもりという障害を持った青年が、美しく生きることに対して苦悩して苦悩して、最後に金閣寺を放火する物語。
実際にあった事件の小説で、解説に、徹底して取材した作品とあったが、どれだけ取材しても、青年のあそこまでの心情はとても書けるものではないと感じ、これこそが、三島由紀夫の凄さという事なんだろう。
仮面の告白の時は、ギリシャ神話とか、外国の哲人のことばとかが頻発してとてもわかりにくいと思ったが、金閣寺は、日本仏教が主であった為、主人公の哲学感が、少しわかった気がした。
柏木との認識と行為のやりとりは、最初何のことやらサッパリ分からなかったが、最後のくだりで、理解できたとまでは行かないが、おぼろげながらわかりかけた感じがした。
こんな感じの、問答なんか普通やんない物として読んでいたが、そう言えば若かりし頃、リアルとリアリズムの違いとか、語り合った事あったっけ。そう考えると、齢とともに、難しいはなしをしなくなった感がある。という事は、ここの所、文学作品読んで分かりにくいだの言っていたのは、単なる自分の能力の低下に他ならなかったという事であった。嘆かわしい。
描写が素晴らしいせいか、無性に金閣寺に行きたくなった。加えて、金閣寺は購入して何度も読んだ方が良いと思った。若い頃読んでたら人生感も変わっていたかも。

3/16 放浪記 完読

3/16  放浪記  完読

母校の大先輩である林芙美子を読むのを忘れていた。放浪記と言う題名だけで想像していた内容は、色んな所を旅して、その場所での出来事などを徒然なるままに書いた柔らかいイメージの物だと思っていた。
読んでビックリ。金と飢えと男と親と、泥々の人生の日記だった。正直、読むのが辛かった。振り返れば、2週間でよく完読できたなと、自分に関心している。
まあ、日記なのだからどんな書き方をしたって良いのだけれど、私には半分も理解出来なかった。途中途中に、詩が入っているのだが、本文全体が詩のような表現なので、解読しようとする方が間違っているのかも。しかも、時系列が連続でなく、どうなってるの、と訳がわからないまま読んでしまった。
ただ、第二部の最後に書かれていた事だけは、腑に落ちた。親との同居のくだり。離れて暮らしていると、一緒に住みたいと思い、いざ一緒に住み始めると、面倒な存在になったり、これは同感した。経験は無いけれど、きっとそうなんだろうと思う。
文面だけ読んでると、いつもお金が無く、ひもじい状況にあるのに、出かけては、何かを食べたり、本を買ったりして、本当に苦しんでいるのか、辛い思いを楽しんでいるのか、よくわからなかった。飽きっぽく、ずぼらな性格なので、何をやっても面白くなく、長続きしない、それでいて、何かにすがろうとする態度は、単なるわがまま娘としか思えなかった。時代が時代だけに、日記の中でしかその様な表現が出来無かったのかも知れないけど。反面、どんな状況にあろうとも、親への仕送りの意志があり、事あるごとに仕送りしてた事には関心した。


3/1 映画の日

3/1  映画の日  アリータ  バトルエンジェル

何の前情報も入れず観た。
ありきたりなストーリーだが、何か面白かった。人間がサイボーグ化できる世の中になっており、富裕層と貧民層に別れた近未来で、富裕層から捨てられたサイボーグを再生したところ、とんでもない力を持った曰く付きの少女で、富裕層のズルい奴らを倒していく話し。と書くと、とんでも無くつまんなそうだが、映像的に、世の中近い内にこうなるのではないかと言う世界だったので惹かれた。格闘の為に、サイボーグ化している奴らがメインであるが、行き交う人が普通にサイボーグ化している映像を見ていると、義手、義足の技術が今より更に進むと、それも有りかと思った。
最近、特に少女のバトル物が多く、自分も嫌いではないのだが、何でだろうと思っていたけど、力が弱く見える物が、とてつもなく強ことが、なんか心地よく爽快なのかもしれない。
見ていて、あずみを思い出した。