4/12 宴のあと 完読

4/12  宴のあと  完読

仮面の告白金閣寺に次いで、三島由紀夫、3冊目。少しづつ三島由紀夫の良さが分かってきた感じがする。
先の2作で煩わしいと思っていた、これでもかと言う修飾語の数々が、ステキな表現に思えてきて、絶賛される作家って、こういう言葉遣いの巧みで、聞いたことのない様な表現ができる人の事を言うんだろう。
具体的な表現は全く覚えていないが、たかがこんな事を言うのに、こんな表現もあるのかと、感動したのは、数回どころでは無かった。
内容的には、やり手のおばさんの話しで、毛色の違った爺さんに惹かれ、都知事選頑張ったのに、落選し、その事がキッカケで、爺さんへの想いも萎んで、結局やり手のおばさんに戻ると言う話しである。巻末の解説者はさすがに、おばさんは庶民の代表で、爺さんは為政者でその対立がどうのこうのと、尤もらしい事を書いていたが、何を言いたいのが解読出来なかった。
題名が『宴のあと』で、章の終わりから2番目の章の名前にこの名前が使われており、最後の章は『宴のまえ』となっている所に、とても深い意味があると感じた。最終章の『宴のまえ』では、主人公の女が選挙の時に手放した自分の店を再開させる事を、これまた選挙の時にお世話になった人からの挨拶の手紙で表現していると言う内容が書かれている。それ自体は疑問にも思わないが、その上で、何で題名が『宴のまえ』何だろう。題名と対をなしてる言葉が最後の章名になっているなんて、意図的でしか思えない。成功しようが失敗しようが、大きなイベント後には虚無感があるもので、その虚無感をバネに次なる第一歩を踏み出す事を言っているのであれば、わざわざ、『宴のまえ』の章名は不要なのではなかろうか。まだまだ力不足で、作者の真意が読めないでいる自分が情け無い。