11/1 教師はあきらめない 完読

ある高等学校での組合員と管理者の闘いの記録の本。著者が知り合いなので購入。知り合いと言っても年賀状のやり取りプラスアルファ程度の接点しかないのだが、こんな厳しい闘いをしていた事を殆ど知らなかった。差別を受けているとは朧げながら知ってたはいたが、これ程とは。

今時、こんな差別がまだ有るのかと思うぐらい、古典的なパワハラ。組合に入っているだけで、担任を外したり、担当教科を外したり。ここの校長は馬鹿なんじゃないかと思ってしまった。裁判で負け、謝罪文まで書いたのに、まだ報復しているなんて。こんな人が校長やっている学校がよく続いているなぁと感心してしまう。もっと言うと、作者に怒られるかも知れないが、こんなアホな校長になんで勝てないのだろうとまで思ってしまった。それに、こんな大っぴらに闘争している学校に入学してくる生徒、親はどんな感覚なんだろうか。この本の中だけだと、事情を抱えている生徒たちが多い様に思えるので、そういった生徒たちに特化した学校なのかもしれないが。
この本の中に書かれている生徒達の何と感受性の強い事。学校生活では色々振り回されてしまったけど、先生達の闘いを見て、肌で感じて、たくましい人に成長している姿が目に浮かぶ。是非そうであって欲しい。
ただ、何百人もいる生徒の中で、全てがそうでは無いと思うのだが、その生徒達には、先生方の闘いはどう映って居たのだろうか。もし、我関せずとした気持ちであったら、闘い自体が迷惑であったのでは無いのだろうか。だとしたら、生徒達を思っての闘いが本末転倒になってはしまいか、と考えてしまう。当事者の方々はもちろんそんな事も重々議論しての闘いだろうと思うが、そこまではこの本ではわからなかった。
無知なるが故の疑問。組合が3つあるとのことだが、一つになったらもっと力が発揮できるのでは?新任の先生方も、低賃金とか不安定な契約期間とか、苦しめられているのに、なぜ組合に入らないのだろうか?管理者以外の先生方が全員組合員だったら、校長もそんなに権威を振りかざさないのでは無いだろうか?
この本を読んでて思ったのだが、校長を含め、「組合」と言う言葉アレルギーなのではないだろうか。資本経済主義の元では、組合はマイナスイメージにしか聞こえず、まずは構えてしまうのではないだろうか。「組合」と言う言葉を別なものに変えて活動すれば、若い人達も闘いに参加し易くなるのでは、なんても考えてしまった。
後半の国語の授業。こんな授業を受けていたら、自分の今も大いに変わっていたのではないかと思うぐらい素晴らしいと感じた。こうやって書いていても、文章力の無さ、語彙のなさ、感情表現の乏しさが身に染みているのだが、この授業を受けていたら、もっと違う表現ができていただろうに。
本の構成だが、テーマごとの章分けではなく、時系列的に流れていった方が、解りやすく感動しやすいのではないかと思った。
ても、先生方の頑張りで生徒達が変わっていく様は学園ドラマを見ている様で、かつ、先生達の闘いは半沢直樹ばりの権力者に対する鉄槌を見ている様であつた。
がんばれ、三木さん。