9/7 日航123便墜落 疑惑のはじまり 完読


これまた、兄に勧められて購読。事故自体は朧げながら覚えているが、内容はほとんど覚えてなく、未だ、明解な事故原因がわかってないとは。

事故の状況から理解が難しい現象、垂直尾翼が飛ばされている事、そのためには内側から大きな力が加わっているはずなのに、ボイスレコーダーや亡くなった乗客が撮った写真などから、客室内は事故直前そんなに騒然としてなかった事、亡くなった方々の焼け方が、飛行機に使う燃料で起きた火に依ったものだけでなく、その上から再度燃えたように全身炭の様になっていた事、事故直後、現場に登ろうとした消防団が現場の方から降りてきた人を見かけた事、墜落現場がなかなか見つからなかった事、アメリカのヘリが救助しようとしたが、なぜか帰還命令が出た事、政治家のトップが現場に足を運ばなかった事、等々あった事を初めて知った。
また、当時の客室乗務員、スチュワーデスのプロ意識が非常に高く、落ちて行く飛行機の中で自分のことよりもお客様に少しでも安心させようとしていたというくだりは、涙無くして読めなかった。それでも、遺族の方々からの、社員への罵声が激しく、それまで誇りと思っていた鶴丸のマークを隠す様になった事など、もちろん遺族の方々も辛い思いをしているのだが、残された日航の方々もかなり辛い思いをしてきた事を知り、事故の重大さが初めてわかった。
スチュワーデスの仕事って、客から見ると、華やかで、煌びやかで、丁寧で、優しくて、と言ったイメージしかなかったが、客から見えない所でこんなにも大変な事を、顔色一つ変えないでやっていたとは、訓練機関もそうであるが、上司、先輩からの指導、会社ぐるみの教育がどれほど素晴らしい物なのかがよくわかった。残念な事に、航空会社だけでなく、世の中全体が儲け主義が優先してきて効率のみ重視する様になって、この様な教育も形だけになってきているのは事実だと思う。個人個人の気持ちでは魂を込めて仕事をしていると思っても、世の中全体、大きな集団に飲み込まれてしまって、どうしようもなくなっている状況だと思う。
そんな中で、今でも事故原因を追求している著者の青山さん、はじめ、同じように活動している方々は立派だ。今更、という人もいるかもしれないけど、とても大切な事だ。
と言って、それでは自分は何をするのか、何ができるのか、と問うても、結局口だけでいる。情け無い限りである。昔、東ちづるさんの書いた、ドイツ村の本を読んだ時も、同じ様な思いを持った事を思い出した。誤って地雷の被害に遭った子供達をケアする団体のことであるが、結局何かをしなければ、と思っただけで何もしていない。誤ってと書いたのは間違いで、オモチャの形をした地雷もあるとの事で、明らかに子供対象にした兵器なので、誤ってでは決して無かった。
島田紳助さんもテレビで言ってたけど、たかが個人が何かをしたって焼け石に水でやっても意味がないんだと思っていたけど、小さな事でも何もやらないよりはやった方が良い、ほんの微々たる事でも何もやらないよりは何かの効果はある筈だ、と。まさしくその通りだと思ったのを思い出した。
そう言う意味では、先ずは、こう言った情報を知る事だけでも意味がある事だと自分に言い聞かせておけば、動き出すきっかけさえあれば、動き出せる体制づくりになっているのだろう。焦らず、時を待とう。